幼児期から公文に通わせるご家庭は多いと思います。
公文に効果はあると言われていますが、我が家の子供達にはどんな効果があったのか、中学受験の役に立ったのか…中学生になった今、振り返ってみたいと思います。
結論から言えば、ある程度効果はあったし、中学受験の準備の役にも立ちましたが、
それ以上に、子供の性質を知る良い機会だったと思います。
公文→塾→中学 振り返って気づいたこと
我が家は子供達を年長〜3年生の終わりまで公文に通わせました。
私が期待していた効果は、先取り学習をすることで、
・勉強はやればできるものだと実感することと、
・学習習慣がつくこと
でした。
公文の先生の方針で、可能であれば3年生が終わるまでに小学生課程を終えるようにする、という目標があったので、子供達の様子を見て、先生に進度を決めていただき、結果的に目標を達成することができました。
その中で、
・先取り学習は子供達に「勉強は、難しくてもやればできる!」という自信をつけてくれたし、
・勉強に対する苦手意識を持つことがなく、中学受験の勉強に向かう下準備の役に立ちました。
しかし、勉強習慣については、全くと言っていいほど効果がありませんでした。
公文から塾へ移動したら、毎日の公文の宿題がなくなってラッキーとばかりに、自宅では全く勉強しなくなりました。提出日前日に少量の塾の宿題はやるものの、それ以外はノー勉強。
中学生になり、勉強習慣がないことが、とてつもなく不利であることに気づきましたが、時すでに遅し。
一定の効果はありましたが、期待していた全ての効果があったわけではありませんでした。
公文は、勉強に向くかどうかの試金石と捉える
同じく公文をやってる子には、勉強習慣の効果が出る子もいるのに、何故うちの子達には効果がなかったのか…。
逆に、勉強習慣はついてるのに、進度が遅かったせいか勉強に自信が持てないという、うちの子と逆のタイプの子もいましたし、超絶できる子や全く公文に向かない子もいました。
そんな周りの子達を見て思ったのは、
公文は、子供が勉強についてどんな気質があるかを見極める試金石なんだということです。
公文と中学受験 結論と考察
結論
勉強に向く子かどうかを見極めるための試金石として、公文は中学受験の役に立ちます。
勉強に向かないけど中学受験に飛び込むなら、子供が劣等感を持たないように、勉強がつらくないように、なんとか楽しんで乗り切れるようなやり方を考える必要があると思います。
ある程度勉強に向くなら、中学受験にチャレンジしていいと思います。
おまけの考察(本質的な子育ての話)
振り返ると、公文をやることによって、当時は学力が伸びることも期待していましたが、それは二の次でいいことで、本質的には、勉強に向くか向かないか、どんな気質の子なのか、自分の子に対する理解を深める、という大きな視点で取り組むものであったのだと思います。
多少負荷をかけてがんばらせるのはまだしも、過度に無理をさせて公文をやらせるのは、勉強嫌いになってしまうリスクがある上に、子供の気質にあった子育てではなくなってしまうと思います。
勉強もスポーツも同じものだと私は考えています。
例えば地元の少年サッカーチームでプレーして、サッカーが得意そうならプロサッカーチームの下部組織であるジュニアチームに入ることを検討しますよね。
それと同じで、公文をやってみて勉強が得意そうなら、中学受験して希望の中学に入ることを検討する、ということだと思います。
どんな子にも良い点、得意なこと、好きなこと、夢中になれること、前向きに取り組めること、伸びる方面があると思います。
勉強にかたよって、過度にやらせるだけが子育ての道ではありません。
この子はどうしたらこの子らしくあれるか、そのためにはどういった気質のある子なのかを見極めるために公文をやってみる。そういった利用の仕方をオススメします。
人にはそれぞれ輝ける場所がある。それを見極めて支えるのが親の役目にゃ。