我が家の中学受験~一人目

受験を始めたきっかけ

私は元々、長子末子とも地元の公立中学へ行かせるつもりでいました。

子供達が小学校低学年の頃、中高一貫の私立へ通っている親戚の文化祭を見に行ったことをきっかけに、私立への憧れを持つようになり、子供達が「中学受験をしたい!」と言い始めたのがきっかけです。

私自身は、親の教育方針から中学受験をしており(ありていに言えば、よくわからないうちに塾に入れられ中学受験させられた)、成績が悪いと脳震とうを起こすほど叩かれ、物を投げられ、常に親の機嫌が悪く、勉強のために部屋に閉じ込められるという、今で言う教育虐待を受けました。恐怖心を抱きながらもなんとか比較的偏差値の高い学校へ合格し入学しましたが、中高時代は勉強漬けで終わってしまい、中高の進路を自分で選べなかったことを残念に思っています。(その後、大学進路も親に阻まれました)

そんな事情もあり、子供達が自ら中学受験したいと言い始めた時、塾での勉強の大変さや、遊ぶ時間が少なくなること、土日も塾があること等を数か月間にわたり言って聞かせ、それでも中学受験がしたいのか、と意思確認に長い時間をかけました。

根気よく話し合って意思確認

幼稚園年長くらいから公文で算数と国語をやっていたので、子供達は、
「公文の勉強はつまらない。どうせ勉強するなら理科や社会がある塾の方がいい」という感じでした。
公文と塾は全然違うし、塾に行ってみないといいかどうかはわからない。
話し合いは数カ月に及びました。

子供達と交わした中学受験の条件

中学受験を検討した時に、まず困ったのがお金のことでした。

地元中学へ進学させるつもりでいたので、塾の費用や私立中学の学費を全く用意していませんでした。その上、子供達の中学受験への認識はだいぶ甘く、最後まで続けることができるかはかなり疑問で、途中でやめることになるかもしれない塾のために金策に奔走するべきか悩みました。
しかし、勉強したいという子供を止めることはできません。あまり金銭的負担が大きくなく、中学受験をすることは可能なのか・・・子供達の意思確認をしていた数か月間の間に、ひたすら一人でネットで検索をしてたどり着いたのが、中高一貫公立校の受検でした。

中学のうちは学費無料、高校から公立料金。
これだ!これなら二人分の中高学費問題はクリアできる!

ありがとう!中高一貫公立校!

子供達には正直な理由と共に、中学受験するなら公立校を目標に受検することになるが、それでもいいかと話し合いました。親戚の子が通っている美麗な校舎の中高とは違うこと、でも同じくらい非常に優秀な子達が集まっていること、倍率が私立の比ではないくらい高いこと、中高ではまた塾へ行かないと大学受験に備えられないこと、メリットデメリットを伝えて、子供達が中学受験をするかどうかを判断するサポートをしました。

数か月間かけての話し合いの結果、子供達は公立校受検を目標にすることを決めました。今思うと、小学校2.3年生が小さい頭で一生懸命考えてよくぞ結論を出したものだ、と感心します。(親ばか)
また、公文の先生にも相談したところ、先生の見立てでは、中高一貫公立校に受かると思うから挑戦したらいいですよ、と背中を押していただきました。こちらの公文の先生は、小学3年生が終わるまでに小学校の過程は全部終わるように計画を立ててくださっていたので、塾へ移動するにはちょうどいいカリキュラムでした。この時、先生は完全にお世辞を言ってくださっていると思っていましたが、今振り返ると子供を見る先生の力は本物だったんだな、と思います。

さて、公立受検を決めたとなると次は塾です・・・。
公文の月謝分だけを握りしめて、どこか行ける塾はあるんだろうか、と不安がよぎりました。

運命の塾選び

幸いなことに近所には大手、中堅、個人と多くの塾がありました。昨今の中学受験界がどうなっているのか全くわからなかったので、情報収集も兼ねて大手から取材して回ろうと思ったら、基本的に塾は私立向け・・・中高一貫公立校対策に本腰を入れている塾は2.3しかありませんでした。多すぎると選ぶのが大変なので逆にラッキーと考え、まずは合格率が一番高い塾へ訪問・・・そこで運命の先生に出会うこととなります。

その塾は世間的には評判が良くない塾だと後に知ることになるのですが、当時は藁をもつかむ気持ちでお話を伺い、中学受験についての近況や中高一貫公立校なる学校がどのような学校なのか、塾のカリキュラムや年間予定、特に授業料について根掘り葉掘り聞きました。先生も営業だから根気よく話を聞いてくれるんだな、と思っていたのですが、最後に・・・

「うちは塾なので、勉強を教え、成績を上げ、最終的に合格することを親御さんが期待なさっているのはよくわかっていますし、期待に応えるよう最大限の努力をしています。
しかし、私は中学受験はただ勉強するということではないと思っています。
この大変な受験を通して、お子さんが成長することこそが僕の望みです。
たくさんの子供達を見てきましたが、みんなこんなに小さい頃から好きでもない勉強をがんばってやるんです。
塾に来てるだけでもすごいことだと思います。
それが本番になる頃には、本当にみんな立派になって、頼もしくなって、驚くような成長をするんです。
私はそれが嬉しくて、本当に毎年感動させてもらっていて、だからこの過酷な仕事をやめられないんです。
どうかお母さまも、お子さんの成長をよく見てあげて欲しいと思っています。」

正直言うと、この時は先生の言葉にあまりピンと来ていませんでした。
これも営業トークのひとつだろうと思っていました。
しかしこの3年後の2月1日、私は先生の言葉の意味を、心から理解することになるのでした。

一人目の入塾後

中高一貫公立校向けの塾の授業料はとても安価で、公文の月謝でまかなうことができました。子供達は塾に入れてウキウキしていましたが、予想通り勉強はあまりしませんでした。同じ志を持った集団である塾にも気が合わない友達はいましたが、前述の先生の授業はとても楽しい!と通っていました。

「4年生のうちは、まず塾は楽しいところだと思ってもらうことが重要なので、勉強についてはあまり厳しく言わないでください」

先生に釘を刺されていたので、一年間は極力がまん・・・見て見ぬふり、半目で見る、生暖かく見守る、を心掛けつつ、勉強自体ではなく、勉強の仕方を教えたりしました。
5年生になりましたが、公立向けのカリキュラムの都合上、4年生の時とほぼ同じ内容の授業でした。私立向けの授業では5年生のボリュームがかなり多く、気合を入れて取り掛からないと6年生で大変なことになりますが、公立対策は6年生からでも受かる子は珍しくなく、つまり5年生のカリキュラムは大変でもないし難しくもないのでした。

4年生の内容の繰り返し授業がつまらなくなり、子供は急速にやる気を失っていきます。

塾つまんない・・・

独学で私立コースの勉強を始める

塾の授業がつまらなくなった子供は、もっと難しい勉強をしたいと言い出しました。
隣の教室の私立コースの子達が頭を三角にして大量のカリキュラムに取り組んでいるのを、ドアの外から覗いている、と塾の先生から聞きました。

難しい勉強してていいな

特に成績がいい方ではありませんでしたが、子供が難しい勉強をしたいと言い出したなんて、普通に考えたら贅沢な話です。しかし私立コースは授業料が高く、支払う算段が立たない・・・。今ムリをして私立コースへ移籍したとして、もし合格しても私立の学校へ行かせることはできない。そこで夫に相談したら、

「そんなに勉強したいなら独学でやらせてみよう。それで私立コースの模試を受けて、立ち位置を見て、目標だった中高一貫公立校の偏差値を超えるようなら、私立の受験を検討しよう。」

と言ってくれました。
この日から、私は買ってきた大量の私立用のテキストを見て学習計画を立て、実行できるよう子供に声がけ、夫は私立の授業料の準備のために仕事を増やすこととなりました。塾の先生にも相談して、公立コースに在籍したまま私立のカリキュラムを独学して、わからないところがあったら質問させてもらえるようにしました。

今思えば、5年生の私立用カリキュラムを独学で勉強することは、無謀に近い思い切った決断でした。しかし我々の予想を超えて、子供は独学を進め、模試でまあまあの成績を取っていました。
数か月後、先生から電話があり、私立コースの教室の後ろの方で座って自習してる分には構いませんので、また塾へ来てください、と声をかけていただき、また塾へ行くことになりました。

この頃、子供は「国語は授業を受ける必要はない」「算数理科社会は、先生がコツを教えてくれるから、独学より習得が早い」と言っており、受験をするならやはり塾は最短ルートなのだとわかりました。

5年夏~本番まで

5年生の夏、講習以外はほとんど勉強していませんでした。
ゲームは決められた一時間、それ以外は床をゴロゴロしながら読書、気づくとそのまま昼寝・・・。
「宿題終わった?」「今日の勉強の予定は?」と言いたいところを、5回に1回におさえる忍耐の夏・・・。模試の前の復習の甘さ、床にひっくり返ってテキストを眺めて「これが自分の勉強法」と言い張る・・・勉強の仕方で口論になり、模試で納得できるほどの良い結果が出ていないのに、自分のやり方を曲げずに床に転がり勉強を主張する子供。

今でもこの勉強法

真剣に取り組んでいるとは思えないその様子に怒りを覚えました。
私達夫婦は、子供の望む道を歩ませてやりたい一心で必死で働き、伴走しているというのに・・・。
子供との大口論の末、私は2、3回家を出たことがあります。
数時間で帰宅しましたが、その時は、
「子供自身が決めた中学受験に必死に取り組まない。この子にとって、中学受験は全く成長の糧にはならない。難関私立どころか、中高一貫公立校に受かれば御の字。」
という状況だと思っていました。
どんなに冷静に考えても、この状況に納得はできなかったものの、中学受験をするのは子供。自分の勉強法でやると言い張るので、この後からは一切勉強に関して口を出すのをやめました。
口を出さないことについては、かなりの覚悟の上でした。
私が一切何も言わなくなれば、今まで通り床でゴロゴロが続き、自宅での勉強時間はほぼなく、おそろく成績はダダ下がりになるでしょう。でも、前述のとおり「中学受験するのは子供」。始めたのも子供なら、やるのも子供、そして最後どんな結果でもそれを背負って生きていくのは子供なのだ、と。親はサポートであって、親の私が受験するわけではない、そこまで自分の勉強法を貫きたいなら、その結果の責任も自分で取るべきだ、と割り切って過ごすことにしました。
そして、この後に偏差値がうなぎ登りにことになるとは、思いもしませんでした。

5年生のカリキュラムを習得できてない状態で6年生に突入。
この頃になると私立の学費の算段がたつようになり、夫のがんばりに驚き、本当にありがたく思いました。
それに引き換え当の本人は6年生になっても特に変わる様子もなく、日々の塾と季節講習、模試の前日に少し復習といった具合で、受験生の緊張感は一切なし。
しかし、前述のように、不思議なことに成績がうなぎ登りとなり、模試の度に過去最高偏差値をマークするようになりました。当初目標としていた中高一貫公立校の偏差値を超え、超難関校を検討できるほどになり、約束通り、私立を受験することにしました。
しかし、先生に言われた過去問は、第一志望の一年分しかやらずに迎えた11月。
あと3か月で本番だというのにまだ焦る様子はなく、塾以外での勉強は申し訳程度しかしない日々。
5年生の時の大口論以来、勉強に口を出さずにいた私は、さすがにここからはガッツリ一緒に勉強しないと合格には至らないと思い、過去問を解き進める計画を立て、過去問の間違いを細かく復習。
過去問をやっていくうちに、基礎点を取れないのが致命的と分かり、慌てて基礎の暗記を始めました。ここから本番までの3ヵ月は塾以外に、家庭でも完全伴走で勉強漬けの毎日でした。
この時期に子供と正面から向き合って一緒に勉強を進めることについて、過去の大口論と、私が子供の頃に受けた教育虐待のことが頭をよぎりました。子供と一緒に勉強に向き合うスタンスをよく考え、まずは「つらくない、楽しい勉強をしよう」と方針を決めました。次にそのやり方を調べたり、子供の性格を考慮して方策を考えたりして、試行錯誤しながら完全伴走をしました。振り返ると、この時期の学力の伸びは目を見張るものがあり、楽しく勉強することが良い影響を与えるのだ、と後に実感しました。
勉強は完全伴走を続けることができましたが、結局最後まで早起き習慣はつかずに本番を迎えることになります。

早起き習慣はつかず・・・

そして本番へ

2月1日の朝、私の緊張を子供に気づかれないように、朝早く子供を起こして、時間通りに学校の校門へ到着。
何事もなく学校へ到着できて、とりあえずホッとしました。
私にできることはここまで・・・。
元々子供は本番に緊張するタイプで、この日も顔がこわばっていました。
初日だし仕方ないかな、と様子を見ていたが

「じゃあ、行ってくるね。
大変だったけど、受験、楽しかった。
受験して本当に良かった。」

と言って、私の返答を待たずにさっさと校舎へ向かう子供の背中を見た時、
雷に打たれたようにわかりました。
「この子はこの3年間でこんなにも成長したんだ。
不安と緊張の中、この子は一人で戦いに行くと決意して私の元を離れて歩き出したんだ」と。
そして、あんなに大変だった3年間を楽しかった、と振り返る我が子を、本当に誇りに思いました。
もし合格しなくても、この3年間は無駄にはならなかった、と確信した瞬間でもありました。

自分から塾へ行きたいと言い出したのに、初めての塾は緊張して、私の影に隠れて先生に挨拶した3年前が昨日のことのように思い出されます。
産まれてから毎日近くにいて、近くにいすぎてわかりませんでした。
「こんなにも頼もしくなっていたのか。」
志望校の入り口で思わず涙がこぼれました。
極寒の2月1日、こみあげた想いに胸が熱くなり、親にならないと経験できなかった、こんな気持ちを味あわせてくれて本当にありがとう、と子供に心から感謝しました。

終了時刻まで待機していたカフェで、涙をぬぐいながら入塾時に先生に言われた言葉を思い出しました。
「本番になる頃には、本当にみんな立派になって、頼もしくなって、驚くような成長をするんです。」
「どうかお母さまも、お子さんの成長をよく見てあげて欲しいと思っています。」
今すぐ先生に電話して、「本当にそうでした!」って言いたいくらいでした。

その後、無事合格し、第1志望校へ進学しました。
さて、次は2人目です。